西千葉

幸町団地学生寮プロジェクト  団地ごはんダイアリー

学生メンバーのYUKARIさんから幸町団地の学生寮プロジェクトのレポートが
送られてきました。学生最後の年はコロナによってなかなか思い通りには
行かなかったのですが、持ち前のスルー耐性を発揮してくれてコロナ禍での
環境の変化にも対応して最後まで自分の力で一歩一歩進んでいきました。
そして就職活動も最初の頃こそは苦労したようですが、淡々とこなしてちゃんと
社会に旅立っていきました。
そう,いつの時代もThe Kids are alrightかもしれないですね。知らんけど。
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日本の団地で暮らすこと
2020年にメキシコでの2年間のインターンシップ留学生活を終えて帰国し、
大学最後の年を迎えるにあたって、私は団地を学生寮として使ってみる
プロジェクトに参加し、生まれて初めて自分の年齢の2倍以上経過した
総戸数4000戸以上にも及ぶ千葉市美浜区の幸町団地に1年ほど住むことになった。
これまで一軒家、アパートメント、(あとはなぜかメキシコのDIYトレーラーハウス)では
それぞれ暮らしたことがあった。しかし、日本の「団地」が持つ特有の雰囲気は
住んでみなければ分からなかったと思う。朝、広い共有の庭に面した大きな窓が
ある一室には太陽の光が燦々と入り込む。布団の中で薄眼を開けながらまだ起きたく
ないという葛藤で身体をもぞもぞ動かせる。それでも日差しはお母さんがすごい剣幕で
「起きなさい!」と叱るみたいに強くなる。
眩しさに耐えかねて起き上がり、台所で水を一杯飲む。水道水が飲めるなんて
メキシコでは考えられない。ちらっとベランダから下を見ると近所の人がもう歩いている。
今日もここで今まで50年間続いてきた新しい一日を無事に迎えたと実感する。

私の小さな場づくりの実践  
団地ごはんネットワーク
団地での少人数の気取らないご飯会。毎回、団地プロジェクトメンバーの紹介で
ニューフェイスがやって来ては、呑んで、食べて、それぞれの想いや考えを語って、
帰っていく場。

8月〇日
ある建築学生は、建物のハードの新しい作り方と快適に使ってもらう方法を
ひらすら考えている様子。私がリベラルアーツの卒論執筆の合間にささっと
作った豚の角煮丼を片手に、とても性格のいい彼がクールに熱っぽく話す
その世界では有名であろう建築家の名前は門外漢の私には覚えられない。
でも、「あの人は好感が持てる」、「あの人は僕とは合っていない」なんて
お互いの知識と感性の答え合わせをしていて、なるほどその人の中に自分の
理想の建築像がすでに確立されているのだと感心する。ただ一点、建築の専門
ではない私の中で引っかかることがあった。それは次のような発言だった。
「自分はソフトをデザインすることはない」、そんな趣旨だったと思う。
コミュニティとか、人と人の繋がりとか、そこまでは設計しない(するのはちょっとやりすぎかも)
と言っていた。(ような気がした。)私は、そこに悶々とした。確かに不自然な人と人との
繋がりデザイン(圧力)はさもしさを感じるけれど、そこに住む人々が主体となって自然に
協力していける場があったほうがいいと強く感じる。そしてこの時、この団地では
それが難しいのではないかと感じる自分と、とことん自分の興味関心がソフトと
内面空想世界に向いていることに気がついた。
ああイツカドコカデダレカガヤッテクレレバイイノニナア。。。

9月〇日
とことん楽観的な体の大きな柔道部の学生と真面目すぎるやせっぽちの
秀才学生の後輩コンビも面白い。その日はたこ焼きと鍋。秀才くんの話した
真面目な話の内容は実は何も覚えていないのだけれど、そのまっすぐ大人に
向ける青臭い質問は確かに理想主義の本質をついていたように思う。
現代の多くのこなれた大学生や社会人が誰もそんなこと言ったって現実に
影響を及ぼすことはほぼないので質問する意味なんてないと勝手に思っている
ようなことを素直に真面目に口にしていた。陽気な柔道くんはそんな結論の
出なさそうな形而上学的な議論には首を突っ込まず、話をすり替えつつ、
うまく場を盛り上げる。デビューしたてのインテリくずれの若手芸人みたいに。
私から見ると大したことは話していないけれど、この二人を見ていると、
大学という場所の意義がこういうところにもあるような気がしてくる。
人は自分と違う他者と出会うべくして出会う。
そういう自分以外の考えを持つ人に出会うチャンスの一つが大学にも転がっている。
と先輩の私は心の中で人知れず微笑んだよ。

10月〇日
近所の研究所のメンテナンス職のおじ様と、大学のあこがれの先輩で
ご近所カフェの看板娘が集まると、部屋は淡いピンク色に染まる。
私が作ったターメリックで黄色になったライスに3種のカレーを盛り付けながら、
50歳を超えても人を好きにになることができるそのおじ様の顔はいつも輝いていて、
とことん優しい風だ。カフェのお姉さんは少し悪乗りして、おじ様の最近の恋愛事情や
さらに踏み込んだところまで華麗に過激に質問攻めにする。そこでは定例メンバーの
別のおじさんも普段の真面目なお話モードから徐々にピンクモードに切り替えて参戦する。
まるでコブラとマングースの戦いを見ているようだ。人それぞれの愛の形、愛の楽しみ方があって、
薄っぺらい普通や一般論なんて個人同士の嗜好(生存競争)の前ではあっという間に
リアリティを失うということを思い知らされる。日常の艶やかな夜を楽しむ。お互いに
信頼感があるという共同幻想のもと、ポリコレプレッシャーから解き放たれた自由な秘密の時間だ。
そして、こうゆう話はいつになっても人の生きる未来エネルギーになるのだと実感する。
今日この瞬間にも世界中のいたるところで秘密の核融合実験が行われているのだろう。
でも、私はそんな危ない橋は渡りませんけどね。(と言っておく)

11月〇日
ある日、近所の気さくな若手市議会議員さんが来てくれたこともあった。
団地のある地域を中心に少しでも千葉市を日本を良くするために政治という方法で動いている。
お堅い話が苦手な私でも、不思議とその人の話はスラスラと入ってくる。
きっと考えていることや、地域の市政の現状を肯定的な優しい言葉に置き換えて
話してくれているからだ。こんな会では、人としてのスキルである自分の意見の
わかりやすい伝え方や、年齢に関わらず人の意見に真摯に耳を傾ける姿勢、
意固地にならない保守的な話し方や考え方も自然に学ぶことができた。
これまでの市政に対するイメージである「どうせ言っても変わらない」という心構えから、
「この人なら変えてくれそうだから言ってみよう」というイメージになった。
私は、団地を卒業し別の地域に住むことになるけれど、新しい地域にもこのような人が
いればいいのにと思うばかり。

12月〇日
またあくる日は、団地に住む建築家と鍼灸師のご夫婦。
その日は「秋刀魚な日」で、なめろうや唐揚げを作った。そこに華を添えてくれるような
見た目鮮やかな、自家製たらこのちらし寿司を持ってきてくれた。
そんな2人の仕事は在宅と都内勤務らしい。自分でリノベーション設計した団地の部屋で
設計の仕事をする旦那さんと、京葉線1本で東京まで通う奥さん。まさにより良く住むために
団地を選んだ人たちだった。千葉の持つ地域ごとの魅力を熟知しているようで、
千葉のような大自然のあるところでしかできない狩猟や、サッカーなどの趣味も持っていた。
千葉の団地に住む意義がありありと伝わって来てワークライフバランスがとれていて説得力があった。
住居選びは、仕事に左右される他に、その地域でできることの比較が重要なんだと参考になった。
結婚もなんかいいなあとも思えた。

他にも何人の人がこの団地ごはんに足を運んでくれたのだろう。かわいいお菓子作り女子や、
実はアニメ好き留学生にモテモテの眼鏡デザイン男子、筋トレとティンダーばかりしていた
一本気なラガーマン、スピリチュアル好きのwebデザイナーさんなどなど。。。
会食を開く側としては同じ部屋にも関わらず、毎回参加者によって雰囲気や色彩が変わることに
楽しさを感じていた。まるで空間構成や劇空間の一要素のように。
「一期一会」とはよく使われる言葉だけれど、その日、手作りのご飯を一緒に食べ、
話しをした時間は生涯にもう2度とやってこない。そこでなされる会話の一つ一つが奇跡で、
得た知見や考えかた、繋がりは自分を形成する一部となっていく。
「食」の持つ力は知っていたつもりだったけれど、今回改めて‘’つなぎ‘’としての役割を実感した。
]一緒に食べ物をつつく料理ではアットホームになり(ここではアット団地か)、
人の心も開きやすい。テーマを持った料理では、話題がそこから広がることも多かった。
少し手の込んだ料理はその場にいる人たちの心をほっこりとポジティブにさせる。
ビールやワインなどのアルコールもまた口を達者にさせる。助けや‘’つなぎ’がありながら自分たちの
持つ考えを素直に対話したり、共有できることの幸せを感じた。会食のマジックケミストリーは、
私の中の生涯のテーマとなると思う。
ありがとうグラシャス、団地プロジェクトと団地ごはん。

1部屋50m2足らずの築50年のレゴブロックのように画一的なことが特徴の
真四角な鉄筋コンクリート造の団地にはこれから新たな需要が生まれるのではないかと思った。
そもそもの健康で文化的な最低限度の家族生活向けの住宅供給 (世界基準でいえば相当ハイスペックなのだが)とは別に、都心から少し外れたところにあるリモートワークをする場所や、
自分だけの秘密の趣味の部屋など、50年前の未来志向の団地開発者たちが想定したことを
踏まえた上で、より豊かな現代の生活の用途としても機能を果たしていく可能性が少しだけあると感じた。
※鉄筋コンクリート造の建築物の寿命は37年(耐用年数47年)と言われているが、
近年の研究ではきちんと管理されている状態では100年以上は構造的には持つ可能性も
あると言われている。by 建築学生より

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懐かしい未来の団地を楽しんでいきましょう。 いとをかし
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